牧田議員の映画「二四の瞳」 の評(「感想)に・・・
        只、只、驚きました。

                  (平成22年の12月議会)


 彼は、「学校の管理強化」について質問するはずのようでしたが、
この問題に関しては、最後にほんのちょっと触れるだけで、発言のほとんどを、
映画「二四の瞳」の「感想」に費やしました。

彼の物知り顔の「ピンぼけ質問」は、いつものことですが、度肝を抜かれるほど
びっくりしましたのは、彼の「感想」でした。

まず、彼はこう言いました。

「主人公の大石先生、なんて能力のない先生だと思った。だって、泣いているだけなんですもの」
「今の教師が(この映画を)見ても、感動しないんじゃないかと思う。」

世の中にはこんな受け止め方をする人もいるんだと驚いたわけです。世間は広いと言うべきでしょう。


まず忘れてならないのは、大石先生の周りには(勿論小説でも)、子どもを取り巻く「貧困問題」が
土台にあることです。それから派生する様々な問題による子ども達の悲しい出来事がたくさんありました。
また、軍事教育(命を粗末にする教育)の問題もありましたし、綴り方運動に関わった教師を「アカ」と
して弾圧される問題も背景に出てきます。

大石先生は、社会的意識が特別高い教師として描かれていません。
どちらかと言えば、師範を出たばかりの普通の社会的意識の低い女教師として描かれています。

大石先生の周りには、大石先生一人の力で、とうてい解決出来ない大きな問題が取り巻いています。

そうした中で、大石先生は、まっすぐ、子ども達に目を向け愛情を注ぎ、子ども達に寄り添っていきます。
直接、戦争反対を叫ぶのではなく、戦争に行く子どもに『生きて』帰ることを伝えたりします。
『死んで帰れと』教育している中で『生きて帰ってこい』と言った大石先生の勇気と率直な愛情表現に
注目すべきです。

この映画(小説)では、戦争に巻き込まれていく教師と生徒たちの苦難と悲劇が描かれています。

大石先生は、戦争を賛美する時流や貧困と直接闘うわけじゃないのですが、ひたすら生徒に愛情を注ぐことが、
軍国主義教育と社会的矛盾とぶつかることになります。そんな中で生徒から慕われる大石先生が描かれています。

大石先生を描いた「二十四の瞳」は、教育映画であると同時に、明確な反戦映画でもあるのです。

それは、私個人がそう思っているというものでは無いはずです。多くの人達の共通認識ではないでしょうか。

しかし、牧田議員は、「主人公の大石先生、なんて能力のない先生だと思った。だって、泣いているだけ
なんですもの」と、言って生石先生をけなしています。
その上で、「これ(この映画を)今の教師が見ても何なの(と思って)、あまり感動しないんじゃないかと思う。」と
まで言いました。

そんなことありませんと言いたいですね。教育と社会との関係、教育とは何か、という点で多くのことを
教えてくれています。ですから、時代を超えて、評価される映画であることは間違い有りません。


しかし、牧田議員は、同じ発言の中で正反対な意味のことを述べています。
あまりに矛盾した発言に、「何を言いたかったのか」を、さっぱり理解出来ません。

一方、牧田議員は、続けて次のように言ってます。
「じゃ、そう言う教師は今でも良い教師であり得るかというと、良い教師だと思う』とも言っています。
また、「そういう教師像というのは、今でも望まれる教師像なのかな』と疑問を示しながらも、肯定的に
述べています。
一方で、『能力が無く」「泣いてばかりいる教師」「今の教師が見ても『何なの』と思われ、感動しないと
思われる映画の主人公、大石先生を『良い教師だと思う」と言ってます。

率直に言って、牧田議員は、『良い教師ってどういう教師を言うのか』という整理がついていない様に感じました。

戦争と貧困、自由や民主主義が蹂躙されている状況下での子ども達の不幸。
それと対立する大石先生の子ども達に対する愛情と苦悩。
その関係が、完全に抜け落ちているという印象です。

また、牧田議員は、「二十四の瞳」の評価には全く触れていません。どう感じどう評価しているのでしょうか。

ただ単に「日本の名画中の名画に数えられていましたけれど」と言ったあとで、先の大石先生批判を行っているのです。
『二十四の瞳』の作品の評価は、大石先生批判の中にくくられてしまったようですが、作品自体の具体的な評価・批評が
ありません。



牧田議員は言ってますね。

1,映画『二十四の瞳」を「初めて全編をきちんと見ました」と。
2,『質問もせず、自分の意見ばかり述べるみたいですけれど、お話しとして聞いてもらえればいい。」
3,『皆さんご存じの様に、原作、壺井栄。監督が木下恵介、主演が高峯秀子・・」

このくだりを読者の皆さんは、どう受け止めるか、印象は様々だと思います。
今、ここでは、私は敢えてコメントしません。

このシリーズの最後にまとめて感じたことを書きます。

最後に、牧田議員に伝えておきます。
「二十四の瞳」を(にじゅうよんのひとみ)と、言いましたが、
正しくは、「にじゅうのひとみ」です。蛇足ながら。