鴻池元防災担当大臣の「無礼者」発言で ある校長の言葉を思い出しました。 「これを引き受けてくれないか。人事に良い影響が出るから」と言われたこと。 (H29・3・9) |
鴻池元大臣は、「無礼者]発言 |
すでにニュースで何度も放映されたことですが、安倍総理大臣夫人名誉校長の
森友学園の籠池理事長が、鴻池元大臣の事務所で、「これでお願いします」と
金と思われる封筒を出したことが、本人の証言で明らかになりました。
(鴻池と籠池は紛らわしい名前だね)
その時、鴻池元大臣は、「無礼者」と言って金の入っているとと思われる封筒を
突き返した話が、「かっこよく」語られていました。
その時のことを鴻池元大臣が、「俺が、金で動く政治家だと思われたのかと思うと
腹が立つ」と言っていたのを聞いて、30年も前のある校長が私にかけた言葉を
思い出しました。
「これを引き受けてくれないか。人事に良い影響が出るから」と言われたこと。 |
ある町で小中高の先生方が集まって研究会を開いていました。
きっかけは、当時、全国的に学校が荒れていていろいろ問題が指摘されていました。
その田舎の町の学校でも同様で、「これが学校か、生徒か」と思われる状況が続いて
いました。
そんな中、北教組と高教組が中心となり、非組合員も管理職も一緒に参加して
研究会が開かれていました。
教育局では、小中高の教員が集まって研究会を継続して開いているのは珍しいというので
他の小中学校と一緒に私のいた高校を「研究指定校」にする旨の話を、校長が教育局長から
直々、言われ、「受けてきた」というのです。
学校は、校長一人の考えで動くところではない。 |
学校は、校長一人の考えで動くところではありません。
そこが役場などの行政と違うところです。
少なくとも、私が在籍した頃の学校はそうでした。
(今は若い先生方は、おとなしいのでだいぶ変わって役場的になっているのかも知れませんが)
職員会議は、法律上いわゆる最高決議機関ではありませんが、生徒の処分内容を含め、
先生方の合意・了解の上、全ての教育活動が決められていました。
ですから、校長が研究指定校を先生方の了解を得ずに、「勝手に引き受けてくる」というのは、
手順的に、異議の出るのは当然のことでした。
少しでも知恵があり慎重な校長なら、「話がある」程度にして、指定校を受けることの意義や
必要性を訴え説得するはずです。
しかし、その校長は、生徒や父母に威張り散らすくせに、上からの話には、ぺこぺこする印象の
人でした。
実は、「指定校の話」を、私は良い話だと思っておりました。 |
実は、私はこの話はいい話だと聞いていたのです。
確かに、手続き的には、「下手なやり方」で問題はあるし、研究のために職員をまとめるという
基本的な対応をしていないなど、基本的な問題がありました。
しかし、小中高の「荒れた教育現場を改善するための実践」の取り組みのまとめが、この機会に
出来るということを、「良し」と思ったからです。
当時、全国の学校が荒れて教育活動に支障が多く生まれている時期でしたから、
この時期の小さな町での小中高の協力的な実践を記録したいと思ったからです。
「これを引き受けてくれないか。人事に良い影響が出るから。動きやすい。」 この言葉で私は切れました。 |
会議のあと、数日たった(?)ころ、校長に呼ばれました。
そして、研究指定校の話をしたあと、私に研究組織の責任者になってくれないか、と言いました。
そこで、先生方の理解と協力を得るための私の意見を言い、話がまとまりかけたとき、校長が言いました。
「もし、指定校として研究がまとめれば、先生の(私の)人事にいい影響があるから。自分も動きやすい。」と
言いました。
切れたのはこのときでした。
「ナニー」という思いが突如沸き上がりました。
鴻池元防災担当大臣のように「無礼者」とは言いませんでしたが、「俺、やめた」と思いました。
「ふざけるな!何を言ってやがル」という気持ちでした。
「俺が、金で動く政治家だと思われたのかと思うと腹が立つ」と鴻池元大臣が言っていた気持ちと同じでした。
「俺が人事を有利にするために同僚や子供を利用する人間だとでも思っているのか」と思うと腹が立ちました。
私はその時から突然、反対の態度を鮮明にさせ、会議では反対の論陣を張りました。
その後、たぶん、全員の反対だったと思いますが、その結果、校長は「指定校辞退」を教育局長に申し出ることを
表明しました。
校長が辞退の理由をなんと言ったのかは知りません。
推測すれば、たぶん、組合の反対とか、共産党員の反対とか、自分の責任が最小限に収まるような理由を言ったに
違いないと思っております。
もしあのとき、あの校長が、「田舎にいる生徒たちのためになるから、こども達のために協力してほしい。」と言っていたら、
間違いなく、「わかりました」と返事をしたことは間違いありません。
人を説得するときには、思わず自分の価値観や判断の基準が出るもののようです。
あの校長は、相手を見間違ったようです。