相撲はいつからボクシングになったのだ?

   張り手は一切禁止するべきだ。

相撲はいつからボクシングになったのだ?
張り手は一切禁止するべきだ。

外国人力士が多くなったせいかどうかはわからないが、横綱3人とも、
立ち会いと同時に、顔に張り手(張り差し)をするようになり、それが
特別のことではなくなってきた。

問題はそれ以上に、不快で、深刻に思うのは、立ち上がった後での、
言わば、土俵の真ん中での張り手だ。
相撲が、何時からボクシングになったのだ、と言いたい。

記憶にあることで言えば、先々場所だったか、白鵬は、稀勢の里戦で
土俵の真ん中で、左手で稀勢の里の身体を支えながら、空いた右手で
稀勢の里の顔をたたいた。張り手をしたのだ。
こんなのは相撲ではない。
こんな相撲の仕方を誰が教えたのか?
汚いという印象だ。
組んで投げて、あるいは押して土俵の外に押し出してこそ相撲だ。

日馬富士も同様だ。
平成26年の3月場所のことだ。私ももちろん見たが、その汚い相撲は、
新聞記事にもなった。
日馬富士は、稀勢の里を「左、右、左と7発も張り手をした」と報じた。
稀勢の里は棒立ちになった。
当たり前だ。相撲を取らない相手に「相撲」を取ったのだから。
しかし、この事実を報じた新聞記事は、批判的な言葉が全く無かった。
何をしているのか、と思ったのだ。

そして今話題になっているのが、横綱の立ち会いの「張り差し」だ。
今まで放置していたから、今やすっかり蔓延しているが、問題にしているその内容は、
「横綱が」と言うこと(だけ)だ。

たとえば、今場所で言えば、白鵬は豪栄道やそれ以外の力士に対しても
「張り差し」をしている。日馬富士や鶴竜もそうだ。他の力士にも蔓延の状況だ。


外国の力士は、相撲の「手」として認められているのだから、横綱であろうと
なかろうと使って何が悪いと思うに違いない。
それはその通りだ。
だから、敢えて、わからせる努力は不要だ。

最初から、「張り手」そのものを禁止してしまえば良いのだ。

本来の相撲を取り戻して欲しい。