「護憲運動(憲法9条守れ)」の矛盾 (1) |
(1)護憲運動の性格が変わってきた?
選挙たけなわである。
この度の選挙の争点の一つに「憲法問題」がある。
正確に言えば、民進党や共産党の主張が大きく報道される事で
生まれ「争点」とも言える。
私はかなり以前から、「護憲運動(憲法9条擁護)」の質と内容に
基本的変化が生まれているように感じていた。。
「かなり以前から」とは、多分、ソ連が崩壊しベルリンの壁がこわされ、
そして、中国や北朝鮮が侵略的国家として周辺国に脅威を与えてきた頃から
だと思うが、その認識が、日本国民にとって、共通認識になってきた頃から
変化して来たように思う。
(2)60年代6や70年代のころ
60年代6や70年代の革新的勢力や良心的と言われた知識人達の世界認識は
現在とは全く違う。
当時は、社会主義国は平和勢力であるという世界認識だった。
だから、9条擁護の運動も、ソ連や中国は日本を侵略しないという前提での運動で、
9条の改悪は、アメリカと日本の支配層における日本の軍国主義復活のための
ものだというものだったはずだ。
だから当時は、旧社会党を中心に「非武装中立」という主張も大まじめになされた。
そしてそれは、憲法の前文の以下の内容を信じることが出来たからだ。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持する」
しかし、その後、この前提がそもそも全く成り立たない架空の世界認識であることが、
多くの事実によって証明されたのだ。
そのため、それまでの「護憲運動」は、現実を反映し、従来とは異なる自己矛盾に
満ちた運動に変質したのだ。
(2)現在の「護憲運動(9条守れ)」の主張は、「9条違反状態」の追認を前提としている。
しかし現在は、中国や北朝鮮の侵略的現状が明らかになって以来、
「護憲運動(9条擁護)」は、専守防衛(自衛隊と安保条約前提)を前提とした運動に
変質したのだ。
つまり、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を
保持する」(憲法前文)が、非現実的であり、それを前提とした「護憲運動」は空想でしか
ないことが明らかになったからだ。
現在、中国や北朝鮮の侵略的行為を前にして、安保条約廃棄や非武装を主張する根拠を
完全に失ったのだ。
つまり、従来の「護憲運動」の根拠を失ったために、「護憲運動」に自己矛盾が生じたのだ。
だから、現在、安倍政権が行っている沖縄周辺の離島に自衛隊を配備した事を批判する
論調は全く見当たらない。ひと頃なら、マスコミも中国や北朝鮮に対し「侵略的」と非難した
だろう。
しかし、国民は、侵略の可能性があるのは、中国であり北朝鮮であることを認識したから、
国民共通の認識となったから、政府の対応を「当然だ」と認めているのだ。
つまり、現在の「護憲運動」は、自衛隊の存在意義と安保条約の価値を認めた上での
「護憲運動」という原理的に矛盾した運動に変質したのだ、と思う。
今や護憲運動は単なる「条文守れ運動」に変質しつつあるように思われる。
憲法9条を守れと言いながら、自衛隊の存在を認め、安保条約を認めた「運動」だからだ。
それは、中国や北朝鮮の膨張主義・侵略的行為等々、目に余る現実を前にして変化して
きた国民の世論・認識を大きく反映した結果であると思う。
※ 次回は「安保法制と国民投票について述べる。