前原民進党代表、共産党との選挙共闘の見直し? 自公政権を見習うべきだ。 |
理念って何だ?
民進党の党首選挙で争点になったのは、「野党共闘問題」。
つまり、共産党と組むどうかのようだ。
しかし、私にはそれが理解で行かない。
確かに「理念」は大事だ。
しかし、「理念」って何だ。その定義も、実ははっきりしないが、、
前原委員長が言っているのは、要するに、自衛隊を認めるのかいなか。
安保条約を認めるのか否か。天皇制を認めるのか。等々であるらしい。
しかし、そんなこと「理念」というのだろうか。
共産党と民進党の間には、理念の違いはない。あるのは政策の違いだ。
私の理解では、「理念」と言ったら、「自由」とか「民主主義」とか、「政教分離」とか、
そうしたことが、違いとなっているかどうかと言うことだ。
その意味では、共産党と民進党の間ぬには、理念の違いはないように思う。
あるのは政策の違いだけだ。
自民党と公明党の間には、「理念」の違いがある。
自民党と公明党の間には、明らかに「理念」の違いがある。
公明党は、はっきり言えば、宗教政党で、政教分離が本当に確定しているのか、
という点に疑問がある。
創価学会にコントロールされていると言えば語弊が
あるかも知れないが、選挙の時の、創価学会員の組織的動きや支持運動の
様々な対応を聞けば、「王仏冥合」のために戦ってるのだろう。
自民党の中には、それを指摘する人もいる。
これこそ、明らかな理念の違いだ。
しかし、自民党と公明党は「理念」の違いを横に置いて政策の突き合わせをして
今日に至っているのだと思っている。
自民党も公明党も辛抱強い。
にもかかわらず、公明党は自自公から自公保へ、そして自公政権へと変わっていくが、
特に自公政権になってから感じることは、自民党も、公明党も実に辛抱強く
政策のすりあわせに時間と労力をかけてつきあってきていると言うことだ。
それは、部外者である私にもよく伝わっている。
本来、他党と政権を組むと言うことは、こうした互いの立場を尊重し合う姿勢を
言うのだと思う。
民進党も共産党も、それぞれ、別な意味で自公政権を作っている自民党と
公明党を見習うべきだ。
途中下車を認めることが、協力の前提だ。
ちなみに、むかし、今と同じく、「共産党と組むか、どうか」が社会党で議論されたときに、
おもしろいことを言った人がいた。
一人が京都に行きたい、もう一人は広島まで行きたいという。
そんなとき、「同じ電車に乗って途中まで一緒に行ったっていいじゃないか」と。
私も同感だ。途中まで一緒に行けばいいじゃないか。
もし、広島に行きたいのが共産党だったら、京都に着いたあとは、共産党一人で
広島に行ってもらえばいいじゃないか。
もし、共産党から広島まで一緒に行こうと誘われたら、はっきり断ればいい話だ。
お互い、途中下車を認め合ってこその協力だからだ。
共産党に対する別な懸念
まあ、ついでに言えば、私にとっての共産党に対する懸念は別なところにある。
共産党が、民進党その他の政治勢力と共闘したときに、それを壊してしまう原因を
持ち込まなければいいが、ということだ。
共産党に対する批判や意見を、まず「善意」と「悪意」に分けるという傲慢さと過剰な被害者意識。
結局は、批判や意見を排除してしまう。
原水禁運動の分裂。労働運動の分裂。共産党を批判する政治勢力の排除。
過去と同じことが、行われなければいいが、という懸念だ。
それさえ起きなければ、どの勢力も、共産党と一緒に長期間やれるだろうと思う。
共産党独特の世界観。
たとえば、ソ連や中国は社会主義国ではない」という主張。
基本的な考え方の急変に対する内部的議論の霧散。
党大会という場でさえ公開された内部的民主的議論が国民から
ほとんど見えない。
しかし、それは結局、共産党自身の問題だし、あとは国民の審判を仰げばいいことだ。
私は様々な政党・団体が、協力しあって政治的課題解決のために協力し合うことには、
相手が誰であろうと異存はない。