「粛々と」に反発した
沖縄県の翁長知事
4月5日に菅(すが)官房長官と会見した翁長(おなが)知事が、
菅(すが)官房長官の『粛々と進めていく』という発言に対し、
『粛々』というのは、『上から目線だ』と反発したと伝えられました。
注意して翁長知事の発言を聞いてみると『上から目線』の前段で
もう一つ大事なことを言っていました。
「官房長官が『粛々(と進める)』という言葉を何回も使われる。僕からすると、
問答無用という姿勢が埋め立て工事に関して感じる。」
ところが新聞記事(記者)は、『上から目線』という言葉だけをピックアップしました。
私の個人的感想としては、『粛々』という言葉からは、、『上から目線』よりも
『問答無用』の方が、強く感じていたものでした。
しかし、よく考えてみますと、『問答無用』の背景には、明らかに、
支配者の姿勢があり、国民を見下す意識があります。
それがいわゆる「上から目線」だ。
さすが、新聞記者だ。「問答無用」の意識の根底を浮きだたせてくれた、と思った次第。
「貴殿』とは、言わないで・・・。
ある日、某氏からの手紙の中で
私のことを『貴殿』と何度か言っていた。
文面は、決して尊敬されている内容ではなし、個人的にも
尊敬される立場でもない。
だから、随所に出て来る『貴殿』という言葉に辟易したし、
強い違和感を覚えた。
慇懃無礼と感じた。
そのうち、『貴様(きさま)」と言われたような気がしてくる。
『貴殿』も『貴様』も、同等以上の相手を敬っている言葉だと
『理屈』をつけられようと、受け取る側が、逆に感じられる状況で
ある以上、押しつけられては困る。
そこでその人の手紙に『お願い』の文言をつけ加えた。
「どうか、私を貴殿とは、言わないで下さい。上から目線を感じて不快です。
『あなた』か、『吉岡(さん)」と書いて下さい。」との文書を送った記憶がある。
なんと言ったって、お互い顔見知りで、言葉も交わしたことがある関係なのだから、
『貴殿』はないだろうと思った次第。
。
いかにも、慇懃無礼で『上から目線だ』と感じたからだ。