谷村議員引退とグレシャムの法則
今年(平成26年)改選の町議会選挙に、
谷村議員が突如引退を表明した。
それも告示直前の事だった。
その理由を示す文章が、谷村議員が発行の「道しるべ」の「あとがき」に
書かれている。
それは「家族への卑劣な攻撃」が、谷村議員の限界を超えた為に、
『家族を守ることを一番に考える』必要が生まれたと判断したことだ。
こんな事が、民主国家日本で起こったと言うことだ。
谷村議員は、5期(19年間)議員として16議会中、27件の一般質問してきた。
つまり、全ての議会において町内の様々な問題を取り上げてきたと言うことだ。
4年間、1度も一般質問をしないで、報酬だけを受け取っていた議員が多い中、
その質の違いは歴然としている。
谷村議員は、言うなれば『群鶏の一鶴』という所だった。
グレシャムの法則
私が、谷村議員から引退の意向を聞いたとき、『グレシャムの法則』が、
安平町議会で起こった」と思った。。
『グレシャムの法則』は、『悪貨は良貨を駆逐する』という言葉を聞けば、
思い出してくれる人もいるかも知れない。
要するに、純金の10ポンドが流通している市場に、不純物の混じった10ポンドを
供給すると、純金の10ポンドが、市場から姿を消すと言う経済の基本法則のことだ。
貨幣価値が下がるから、当然物価が上がり、インフレになるのだ。
安平町議会は、大政翼賛会。
町職員の不正や町の法律違反・談合疑惑に敢然と立ち向かってきたのは、
無党派の谷村琢哉議員です。共産党でも社民党でも、民主党議員でもありません。
こうした問題が表に出たとき、率先して、谷村議員と協力し、タッグを組んで対応
しようとする動きが、政党所属の議員の間でも全く生じなかったのだ。
また、党籍があるが党名を名乗らない民主党や自民党の議員達も同様だった。
民主主義を標榜しているはずなのにである。
ましてや、無党派の議員達は推して知るべしだ。
それどころか、中には、他の議員と共に、町(町長)を擁護し、谷村攻撃に走った
『革新(?)議員』もいた。
谷村議員なきあとの安平町議会には、安平町・一部町職員が「今なお抱えている業者との
不適切な関係」を追求してくれる議員は、一人も居なくなったということだ。
谷村議員の引退によって『安平町議会の価値』が、さらにさらに、低下したのは事実だ。
安平町議会は、完全に、大政翼賛会になってしまったのだ。
民主主義の本質。
民主主義の本質を示す有名な言葉があります。
ヴォルテールというフランス人の言葉です。
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
谷村議員の引退は、基本的な点(反民主主義)で、この『広報への不掲載』の決定と同じであることは
明らかだ。
『谷村議員引退』は、要するに町長(町政)批判を封じるために、瀧町長の支援者達(議員を含む)
が、時には町長からも、様々な妨害・いやがらせがあった結果であると私は考えている。
だから、町長を含む谷村攻撃をした人達が、谷村さんと『同じ方向』を向いて町政に関わって来たとは
全く考えていない。
因みに、前回の選挙では、早来のある地区で『谷村を落とす会』が作られ、富岡地区と遠浅地区の
選挙掲示板から谷村さんのポスターがはがされた。
追分地区では、谷村さんのポスターが掲示板から大半がなくなったとのことであった。
選管では、『風で飛ばされた」と判断したらしいが、当時、選挙期間中、そんなに、追分地区で
強風が吹いたのか。谷村さんのポスターにだけ強風が吹いたのか、今もって不思議なことだ。
以上の文章は、谷村議員が、引退を下直後に書いたものでした。 当時の私の怒りをそのまま表したものになりました。 しかし、その後、谷村さんが引退した後、高山議員や小笠原議員のように公然と瀧行政を批判する議員も現れました。また、多田議員、その他のように道の駅の予算に反対する議員も半数近く現れたり少しずつだが、安平町議会も変わりつつある印象があります。 また、その当時と決定的に違うのは、私自身が議員になったことです。 個人的には、様々な問題をストレートに、公然と質問し追求できるようになったことです。その意味では、ストレスが少々緩和されますが、対役場との関係では、村井副町長の院政もあり、情報公開に対する問題など、瀧悪政の問題は今なお残っています。 特に、条例解釈の間違い(ごまかし?)や違法業務に関して、役場が率先して是正するなどの姿勢になるには、時間がかかりそうです。(H30・7・26) |