お勧めの映画・・・杉浦千畝 |
12月10日、苫小牧のイオンの映画館で女房と映画「杉浦千畝」を
見に行きました。
期待した通りの映画で感動しました。
今もイオンでやっています。今週中。
まずは、唐沢寿明に感心。
感心したのは、千畝(ちうね)役をした唐沢寿明の英語の
上手だったことです。ネイティブが話しているような感じで驚きました。
俳優というのは、練習もするのだろうけれど、見事なものだと感心しました。
千畝(ちうね)のような事が出来るだろうか?
この種の映画を見たり、話を聞くと、いつもの癖で、自分が「同じ立場だったら、
同じ事が出来るだろうか」と考えてしまう。
「出来ることなら、同じようにしてみたい」と思うが、自信はない。
それだけの覚悟が自分にあるか、と自分に問うてみるのだが。
しかし、命をかけて、そういう人間でありたいと、年甲斐もなく思ってします。
杉浦千畝とは・・・
ご承知のように、ナチスに追われたユダヤ人が、リトアニアの日本領事館に
日本通過のビザを求めて押しかけました。
彼等はそのビザで、日本からアメリカやカナダに行く予定だったのです。
このときの領事が杉浦千畝だったのです。
彼は、結局、本国(日本政府)の意向を無視して「ビザ」を発給しました。
のちに、このビザは「命のビザ」と言われました。
その数、何と6000人分。
杉浦千畝は、6000人の命を救ったのです。
日本のシンドラーと呼ばれています。
(ドイツ人シンドラーについては、映画「シンドラーのリスト」を見て下さい。
見たときも、「杉原千畝」を見た時と同じ感想を持ちました。
ナチに対する怒りとともに。))
命のリレー①・・・千畝(ちうね)以外にも、命をつなぐ人がいた。
実は、この映画を見たとき、疑問が一つ解けました。
杉浦千畝のテレビドラマや演劇(千歳市で)は見ていましたが、
リトアニアを出国したユダヤ人は、ソ連や日本を通って
すんなりアメリカやカナダに行けたのだろうか、という疑問でした。
今回の映画にそのことが描かれていました。
実は、千畝が発行したビザをつなぐ人達がいたのでした。
そのことが、この映画に出て来ていたのです。
この映画では、リトアニアを逃れたユダヤ人が、ソ連領のウラジオストックで
足止めされたことが描かれていました。
予定では、ウラジオストックから日本の敦賀港に向かうはずでしたが、
日本政府から、乗船を許可しないようウラジオストックの領事館に通知が
出ていました。
調べてみましたら、この時の領事の名前が、根井三郎という人でした。
しかし、彼は許可するのです。それが今回の映画に出ていました。
ここも、感動する場面でした。
命のリレー②・・・他にも命をつなぐ人がいた。
敦賀に着いたあとどうなったのだろうか。
この点も、調べてみました。
すると、うれしいことに、敦賀に上陸したユダヤ人達を敦賀の人達は、
食料を差し入れたり温かく迎えたそうです。
食事や風呂の提供など・・・。
しかし、日本の滞在期間が限られていますので、滞在期間を延長させて、
アメリカやカナダに行かせた日本人がおりました。
それが小辻節三という方でした。
この方の経歴は異色です。