汚い喧嘩とフェアーな喧嘩

1,ウエストサイド物語

ウエストサイド物語という映画を見たのは、
今から何十年前だろうか、定かには思い出せない。

が、しかし、あのときの体操のようなダンスの印象が、
強烈であったことが、今でも記憶している。
今でこそ、当たり前になっているあの種のダンスだが、
当時、私にとっては、初めて見たダンスのスタイルではなかったかと思う。

また、この映画には、アメリカに存在する民族問題が背景にあったことは、
十分理解できたが、今、思えば、「移民問題」もあったに違いない。

2,喧嘩のルールを決めていた。

 
映画では、非行グループ同士のジェット団とシャーク団が決闘をする事になるのだが、
  その時、決闘に使う武器を決める場面が出て来ていた。
  そのやりとりの時、「ナイフ」「鎖?】など、掛け合いのように次々、武器の名前が
  出て来たように記憶している・・・・が? 

  そのとき、いわゆる、不良グループの喧嘩でも、「ルール」を決めてやるんだと感心したものだ。

3,遠浅地区の公害問題・町政問題で体験した汚い喧嘩」の手法

  (1)早来工営が、遠浅地区に誘致されて後、「悪臭公害」や
     「汚水の不法投棄」問題が発生し、道議会でも取り上げられ
     営業停止処分を受けたことがあった。
     
     そうした中でも、早来工営を歓迎する人達もいた。
     その人達の「反撃の手法」の「汚い喧嘩のやり方」が、印象に残っている。

     (1)「お前達は、早来工営や役場を攻撃することが目的なのか」という
        「反撃の手法」だ。

        「悪臭がひどくて困る」「汚水を不法投棄されては困る」と、
        被害の実態に触れ、その問題点を指摘し、改善を求めているのに、
        早来工営側に立つ人は、指摘した問題点から、目をそらし、
        論点を変えて「早来工営や役場を攻撃することが目的なんだろう」と切り返してくる。
        (これを批判者の「誤解だ」と説明する文書にも残っています。)

        言われた方は、予想外の反撃の「内容」にびっくりするわけです。
        「悪臭がひどくて困る」「汚水を不法投棄されては困る」と訴えて、
        改善を求めているだけなのに、それを「別な目的を持って批判しているのだろう」と
        反撃してくるわけです。

        そんな時、誰でも、「いやいや、そんなつもりではない」と急に、言い訳がましく、
        説明を始めなければならなくなる。早来工営の誘致を歓迎の人は、それを
        計算の上で論点を別に移し、全く、直接関係ない別な論点で批判意見を
        押さえ込もうとしたのです。
        これなどは、典型的な「汚い喧嘩のやり方」となのです。


    (2) 「共産党なのか」という反撃の仕方も「汚い喧嘩のやり方」。
        
        これは、(1)と同じ内容の他に、私に向けられたものでした。
        「事実は違う」ので、違うと答えたが、「共産党だったら何だというのだ」と
        反撃する必要のある問題が残されています。民主主義社会ではないかと。
        偏見やマイノリティ(少数派)に結びつけ、「反撃するやり方」も「汚い喧嘩のやり方」の一つです

        その他、「教員というのは、もっと身体を動かして働いた方が良いのではないか。
        そのほうが、良い考えが浮かぶよ」とも言われましたね。(私は元教員)
        「その発言は、紅衛兵のようですね。」と、言ったけれど、彼は意味を理解したかどうかはわかりません。

        彼に、早来工営関係のデータや問題を書いた資料を渡そうとしたところ、即刻「いらない」と
        言いましたので、 「この方は、文章をもむのが苦手なのだ」と思い、無理強いはしませんでした。
        また、この方は、私のことを「愉快犯なのか。」「人を騒がせて楽しいのか」とも言いました。

        これは、前回の私の住民監査請求を指して言ったのですが、「法律違反を指摘した住民監査請求」を
        自分で確かめて、考える以前に「愉快犯」呼ばわりしたのです。
        「言うに事欠いて」とは、このことです。
        長期間、公職を持った事のあるこの人は、どんな人かと奇妙に感じた次第でものでした。

        
    (3) 「俺を辞めさせるために、重要政策に反対しているんだろう」も、「汚い喧嘩のやり方」の一つ。  

       私は、重要説明会終了後(H27・6・15)に、町長から「因縁」」を付けられました。
       (これは、私のHPに掲載しています。)

       町長が因縁を付けた際の問題発言は、6つありますが、うちの一つに、
        「(道の駅など今回の計画に)反対するのは、俺を辞めさせる為なんだろう」というのがありました。

       もちろん、私は、町長は、即刻退陣するべきだと思います。また、その根拠を示して、実際に
       文書要求しています。

       しかし、そのことと、町長がやろうとしている「道の駅」を始め、大型事業に反対することは、別な話です。
       私は、町長を辞めさせるために、重要施策に反対しているのではありません。
       町長の箱物作りの政策が、一部業者の為であり、近い将来、住民負担となることが、明らかな
       間違った政策だからです。

       どうも、そこの所の基礎の基礎の相互関係が、町長には全く理解出来ていない為、見当外れの
       「因縁」を付けたのです。

       しかし、こういう言い方も、先ほどらい指摘している「汚い喧嘩」の一つなんです。

       先ほどの人達を含め、「汚い喧嘩」をしながら、自己主張をして生きて来た人達が、
       実に多いと言う事なのでしょうか?