卒業生に対しては、基本的には
「呼び捨て」です。

私は教師時代、生徒をずっと呼び捨てにしてきた。
しかし、教師の中には、「クン」を付けて呼ぶ教師もいた。
なかなか、すてきだなと思った。
しかし、私は、退職の最後まで生徒を「呼び捨て」で呼んできた。
そのことを未だに「問題だ」と思ったことはない。

退職後、生徒と会う機会があった時も、呼び捨てにした。
「元生徒だからだ。」
そのことに、特別、違和感は無かった。

ある時、考えることがあって、町中で会った元生徒に、こう言った。

地域の人や第三者がいるときは、「さん」をつける。
奥さんや子どもの前では、「クン」をつける。
しかし、2人きりの時は、呼び捨てにするからなと。

相手の元生徒は、「はい」と言ったのでそう実行している。

恩師の思い出

私には、心底から「恩師」と呼べる教師(担任)がいた。
当時としては、珍しく、差別をしない教師だったし、何よりも、「理屈」を言う
生徒だった私に、「理屈で」付き合ってくれて、事の是非を教えて頂いた。
それも多分野においてだ。
しかも、家出をしたときは、泊めてもらったし、一宿一飯の恩義がある。
実際はそれ以上のお世話になったが。

私は、教師になってからも、年に1回は、元担任を表敬訪問をしていた。
先生が亡くなる私が45歳か46歳ころまで続いた。

先生のお宅を訪問し、玄関の戸を開けたとき、私の顔を見た元担任は、
必ず、「おお、吉岡来たか」と言った。
機嫌の良いとき(?)、「吉岡クン、来たのか」と言う事もあったが、
話し込むとすぐ「吉岡」と呼んだ。
私にとっては、それがすこぶる自然だったのだ。
私が中学生だった頃、多分、50前後の女教師だったが、女教師でも
生徒を呼び捨てにしていた。


もし、あの当時、卒業して教師になっていた私に、担任のあの先生が、
「吉岡さん」などと言ったら、ものすごい距離を感じて、悲しかったに違いない。

中学校時代と同じく、「吉岡」と呼んでくれたから、タイムスリップして
すぐ、中学生に戻れたのだと思っている。
だから、中学生の私と担任が歓談出来たのだ。

そんな個人的体験から、私の生徒達も、呼び捨てにされることに
「特別違和感はないはずだ」っと考えたり、時にはそうした呼ばれ方を
望んでいると考えたりしたからだ。
それは、いささか、独りよがりだと批判する人や生徒もいるかも知れない。
しかし、それでも構わない。

卒業して、生徒と会ったときは、特に、2人きりの時は、やっぱり教師に
なってしまうし、相手を「生徒」にしてしまう。

まあ、願わくば、それは許して頂きたい。

ある学校での卒業式の時、最後の生徒への話の中で、
「卒業しても、会ったときは、呼び捨てするからな」と言った事があった。

そして、「みんながどんなにえらくなっても、総理大臣になっても
呼び捨てにするからな」とも言った。

保護者もいた教室だったけれど、幾つになったって、「師弟関係」は、
変わらない。タイムスリップしてしまうものだと思っていたからだ。

が、しかし、そう思っているのは、私だけで、元生徒の中には、
「なんで、呼び捨てにするのだ」と言って怒り出す人もいるかも知れないが、
そんな時は、素直に、「○○さん」と呼ぶことにしよう。



昔の職場の上下関係を退職後も持ち込んだ「クン付け」を
第三者の前でするのは、どうだろう。

仮に、職場の習慣で上司が部下を呼び捨てにしたり、「クン」で
読んだりしているせいであろう。
職場外でも、あるいは退職後ですら、関係の無い第3者の
混じった中で平気で呼び捨てにしたり、クン付けで呼んだり
しているのに出っくわしたことがある。

「第3者の前で」と、やっぱり違和感を感じてしまうが、これは私だけの感じ方だろうか?