トンチンカンな発言の数々・・・・
こんな議員に、年間300万円もの報酬(税金)は払いたくない!
以下の発言は、平成24年7月30日付けで「安平議会だより」に議会傍聴の感想を投稿した際に、広報特別委員会で不掲載を決めたときの議事録から 採った関係議員の発言に対する私の批評・糾弾です。 私の投稿は、「皆さんの声をお寄せ下さい」という議会事務局の町民への呼びかけに応じて行った原稿です。
理由は明らかです。「町政批判を認めないこと」と「自分たち議員の不勉強さ」が町民に知られるのを恐れたからです。 その為、以下述べるようなトンチンカンな理由をこじつけたのです。 時間が経ちましたので補足しておきます。 (H26・11・27更新) |
彼らの発言を具体的にいちいち、書くのはバカらしいのですが、発言のひどさを知って
頂く意味で、紙面の許す範囲で紹介しておきます。
(1)星議員・・・『あくまでも個人の意見だから。感情的なものだから(載せる必要は無い)」と発言
この議員も、募集要件を全く理解しておりません。
そもそも、広報特別委員会が募集したのは、町民一人一人個人の『感想』『意見』『要望』です。
『個人の意見だから載せない』と主張するのは、広報委員会の呼びかけ自体を否定するものです。
この議員は、その基本すら理解していないのには、只、只、あきれるばかりです。
『感情的』というのは、この議員のように理屈に合わないことを無理矢理、押し通そうとする時に、
よく現れるコントロールできない感情的発言・行動を言うのです。
(不要な大声を出したりするのが、この議員の特徴ですが。)
この議員は、自分がトンチンカンなことを言っていることすら気付かないほど、感情的になり冷静さを
失っています。と、言うか、そもそも、この議員には、物事を原理的に考える思考方法を持ち合わせて
いないための感情的暴論と思われます。
(2)小笠原議員・・・・『質問した議員が納得しているから不要」と発言
田村議員・・・「これを取り上げた議員だって、答弁を聞いてそれ以上の追求をしていない」
この発言は、募集内容と『感想』の国語的意味を全く理解しない発言です。
質問者が納得しようがしまいが、それを聞いていた町民の『感想』は存在するのです。
従って、『質問した議員が納得しているから不要」だとする意見は、募集内容と
『感想』の国語的意味を全く理解していないトンチンカンな発言です。
そもそも、『皆さんの声をお寄せ下さい』と書いてある中には、『感想』も求めていたのです。
(3)小笠原議員・・・「質問者に対する誹謗中傷だ。(質問者が納得しているのだから)」
これなどは論外と言うべき発言です。
こんな物の考え方で議員をやっているのかと、議員の基礎的見識を疑います。
主権は国民に有るんです。議員が仮に自己満足した答弁であっても、(この質問
した議員は、答弁に納得しているとは思いませんが)、国民が別な感想を持って
意見を述べあったり、疑問述べ、時に見解を問うことを認めるが民主主義の基本です。
どうして、これが、誹謗中傷になるのでしょうか。
この発言者は政党名を名乗っている議員ですが、民主主義のイロハもわかってい
ないようです。所属政党の恥さらしですね。二重に滑稽(こっけい)です。
(4)工藤議員・・・「議会で決まったことを蒸し返すやり方だ。個人の意見で間違って
いるということになれば、無法地帯だ。」
これも絶句した発言です。
『議会で決まったことを蒸し返す』ってどういうことですか?
今までだって、答弁違いが訂正されたり、議会議決を要する事案である
ことが指摘されて、後日、正式に議決したことがありました。
また、条例にミスがあったのに気付かずに議決したあとで、再議決したことだって
あるじゃないですか?
間違いを見つけるのが、役場職員だったり、町民だったり様々です。
それはそれで、遺憾なことですが、仕方がないことです。
議員がそれをチェックできなかったのですから。
それなのに、「個人の意見で間違いが明らかにされ、正されること」が、『無法地帯』だと
言うから驚きです。この議員は、自分の言っていることの国語的意味を理解しているのか、
はなはだ疑問です。
この議員には、民主主義の感覚が全くないのですね。
間違いに気づき、指摘するのは、町民個人であろうと、どの組織であろうと必要な
ことです。
そのことによって誤りが正されることは、何の問題もありませんし、必要なことです。
この議員は、間違いでもそのままにしておけ。議員が決めたことに文句を言うなと言っている
かのようです。
この発言者は、町の監査委員です。簡単に言えば、町政の間違いを指摘し是正
させる仕事です。
監査委員や議員以外に「間違いを指摘すること」は、許さないというのですか。
そうした考えこそが、『無法地帯』を作るのです。
そんないびつな『特権意識』が、議会を形骸化し、行政と癒着し二元代表制を破壊し、
ひいては、民主主義を破壊するのです。そんな人に監査委員をして欲しくありせんね。
この議員の考え方は、安平町議会に『無法地帯」を作りだす反民主主義の考え方です。
議員としての基礎的資格条件を欠いていることを、明確に指摘しておきます。
この議員に必要なのは、まず、自分を監査することです。
(5)小笠原議員・・・『議長が答えられる責任分野でないので載せられない。議会と全く関係ない」
この発言も政党名を名乗っている議員の発言ですが、募集の要件を全く理解していません。
つまり、基礎基本が出来ていません。
私が投稿したのは、広報特別委員会の呼びかけに応じて「議会傍聴の感想」に関してだけです。
それを発言者の何人かが、『意見書』『意見書』と言っておりますが、見当違いの指摘です。
私が提出したのは、意見書ではなく「議会傍聴の感想」だけです。
ましてや、回答を議会に求めたものではありません。
それなのに、「議長が答えられる責任分野でないので載せられない」との発言は、どんな思考回路を
経て導き出されたのでしょうか。100回、頭をひねっても考えても、到底理解できません。
これも支離滅裂な発言の典型というべきでしょう。募集要件と投稿原稿のどこを読んで発言しているの
でょうか?
(6)佐藤議員・・・「こういうことを取り上げて、『議会だより』の中にもし掲載することになると、
これから先において何が起きてくるかわからない。」
この方は、何にもわかっていない。『こういうこと』というのは、何のことですか?そもそも、「議会だより」において、
『町民の議会傍聴の感想を求めていたものです。感想ですから、様々です。今回は、町理事者の答弁に納得がいかないと
いう感想を述べたものです。『感想』というものは、同感の感想もあれば、納得出来ないという感想もあるのではありませんか?
感想とはそう言うものではありませんか?
『これから先、何が起きてくるかわからない』って、どういう意味ですか?何を怖がっているのですか?
いかにも「気弱な」佐藤議員という感じですが、何から逃げ回ってるのですか?
町民から逃げ回っているようでは、議長だけではなく、議員失格です。
(7)佐藤議員・・・「もっと、建設的な意見をだしてくれと」
(8)田村議員・・・『建設的なご意見等については・・・・必要に応じて掲載するということになっている』のだから
手続きに触れた発言でしたが、この発言には、『なぜ、建設的でないのか」 「なぜ、必要がないのか」を
具体的根拠を示していません。ただ単に、『不掲載」にするためにだけ、この「文言」を使っています。
さらに言えば、私の投稿文書が「掲載の条件」の全てに合致している事実を何一つ述べていません。
それなのに、『必ず掲載するとは言っていない』ということだけを強調しています。
つまり、『掲載しない』という結論ありきの発言です。
この議員は、『町を批判することは建設的でない」
「町や議員にとって、不都合なことは、掲載する必要がない」と
言っていることと少しも違わない内容となっています。
この議員の発言は、担当課長の「雨漏りや壁の隆起、床の隆起」までもが、
「軽微な瑕疵であって欠陥でない』という奇妙キテレツな発言に、全く疑問すら
感じていないと言うことを白状したような発言です。
加えてこの議員の発言には『公平さと公正さ』に欠けていることが、
致命的な欠陥です。
(9)多田議員・・・委員(議員)達のトンチンカンな意見に流されて、リーダーシップがとれていません。
民主主義等の言葉を使うまでもなく、『意見の募集要項』の範囲(感想)の投稿んなのだから、
掲載してしかるべきなのに、すでに述べた議員たちの様々なトンチンカンな意見に十分反論をしていません。
それどころか、しばしば同調しています。
しかも、以下の多田議員の発言には首をかしげざるを得ません。
「(吉岡の意見は不掲載になりました、と告知の上で)2007年の募集要項については、
議会改革が進んでいるので、この募集要項は採用しません。
変わりましたので、直接意見交換に参加してもらいたいと言う意見聴取をしていきたいと
いう内容に変える事が必要でしょうね。」
他の議員と違った意味で、重大な問題発言です。
内容的に『巧妙な』処理をしようとしたと受け止められます。
悪く言えば、『ずるい』処理の仕方を提案したと言えるかも知れません。
つまり、吉岡は募集要項に応じて投稿してきたが『議会改革が進んでいるので、
もう、募集していないのだ。だから、掲載出来ません。』と、そこに、掲載しない理由を持って
いこうとしているからです。
「この募集要項は採用しません。」とは、そう言う意味です。
「掲載させない」という意味では、基本的に他の議員と「同じ土俵」の発言となのですが、
その手法が、「かなり巧妙」だと言っているのです。
他の議員達が持っていない『頭の良さ』を持っているのでしょう。
しかし、他の議員達の反対でこの提案にボツになりました。
他の議員達が反対した最大の理由は、「(募集要項を)直接意見交換に参加してもらいたいと言う意見聴取をして
いきたいという内容に変える」と言う点にあったのです。
つまり、反対した議員たちは、『不掲載だけにしておけ。(私を含む)町民の『直接の意見交換』『意見聴取』は必要ない。」 と言う事だったのです。
議員が、町民からの『直接の意見交換』『意見聴取』に拒絶反応して、よくも議員になっているものだとあきれ返ります。
私は、議会で全く議論されなかった重要な問題を指摘しています。
(私が指摘した問題・・・論点は2つ)
投稿した私の文書の論点は2つです。1つは、『瑕疵(かし)と欠陥は別だと言って、雨漏り・壁の隆起」
「床の隆起』まで、欠陥でないとの役場答弁は、間違っている。「瑕疵と欠陥は同じだ」という指摘。
もう一つは、壁・床版・屋根は、品確法の対象で瑕疵担保責任は最長20年だという指摘。
しかし、広報特別委員会では、上記の問題提起が『建設的』かどうかを全く検討していません。
1,私の指摘は「建設的」でした。
私の投稿文書は、極めて『建設的」で、且つ、「重要な指摘」です。
議会が、上記の2つの論点を全く議論していない状況下で、「議会傍聴の感想」の形で、
問題提起をしたことは、議会の議論を深める上で、また、町理事者の認識を正す上で、
また、問題解決を図る上でこの上なく「建設的」な問題提起でした。
そもそも、『建設的内容か』の検討がなされていません。
上記の2つの論点が、「なぜ建設的ないのか」の議論が全くなされていないのです。
それなのに『建設的でない」という結論だけを言っている。
町理事者の答弁を批判することを『建設的でない」と言っているだけなのです。。
2,書かれた内容は、町民の意見として「掲載を必要とする内容」でした。
(1)何故、掲載の必要があったか!
①投稿原稿に書かれた内容(2つの論点)は、議会の中で、議員の誰からも指摘されていない。
②投稿原稿の中で、「役場が業者の弁護に終始し、癒着の姿勢にある」ことを指摘し ている。(この点も議員は誰も指摘していない)
③さらに、「業者に対して遺憾である等の答弁がない。」『業者の弁護に終始している」等々に
関して具体的に触れている。
3,募集要項の趣旨に反し、「門前払い」をする。
★募集要項には「建設的なご意見等については、・・・必要に応じて議会だよりに掲載させて頂きます』と
書いてあります。しかし、繰り返しますが、肝心な以下の点が
①投稿文の論点2つに関する検討を全く行っていないことは問題です。
建設的かどうかの検討を全く行っておりません。 また、
②町が業者の弁護ばかりし、癒着の姿勢にあることを示す指摘が、
町民の中にあることを「議会だより」に掲載することは、重要であり、
『必要』なことです。
それが、なぜ、必要でないのか、そこを議論しないで『不掲載』の結論だけを
先行させているのです。
こうした議論を経ずに、正当な理由・根拠を示すことなく、門前払いをするなどは、
町民の意見の圧殺です。
私の原稿は、募集要項の条件に合致する『建設的』な意見であり、
「掲載を必要」とする内容だったのです。
「町への批判は不掲載(つぶす)」にすることが、
「まずありき」の発言の数々。
議事録で確認出来る議論の特徴は、各議員が、町民の投稿『感想』を素直に読んで、
これを議会制民主主義の充実の観点から、真摯に検討して、できうる限り生かして
いこうという姿勢は、全く感じられませんでした。
発言の中から感じられるのは、『感情的』で、最初から『つぶそう』という
意図的だけが感じられました。
「町理事者に反対する意見・批判的な意見」は、ことごとく排除」しようとする思惑が
感じられます。
「町政に批判的な意見の持ち主と思われる者の意見発表」は、最初からつぶしてしまい、
町民の目に触れさせないようにしようとする意図が見え見えです。
安平町は談合疑惑が問題になっている町です。
明らかに役場内部から情報が漏れた状況証拠があります。
つまり、役場内部の者しか知り得ない情報が、外部に漏れたため、落札JV名が新聞社に通報されました。
その時、名前の挙がったその業者の不良工事も続いています。
その企業は町長と特別な関係があります。だから、役場職員は、業者に気を遣い「欠陥ではなく瑕疵だ」
などと見当外れの答弁を行い、業者には「責任を持ってやって頂いている』とか欠陥を『許容範囲だ』などと言っ て、業者を擁護しました。
このたび不掲載とされた『投稿原稿』は、そうした点も指摘したものです。
それを、議員達が、トンチンカンな「見当外れの文句」をつけ『不掲載』にしたのです。
多くの町内外の住民に、この安平町の議会の実態を訴えていきます。
労働運動をしていたからといって、その人に民主主義の素養が身につくわけではありません。 労働運動は、社会を進歩させ、歴史を前進させてきたものです。 労働運動は。ヒューマニズムの運動でもあると思っています。 労働8時間制・参政権の確立。年休権・産前産後の休暇・・・・・など、労働運動の中で 獲得してきたものは数えきれません。 そこには、労働運動が、社会の進歩や社会正義と結びついているから民主主義の発展と結びつくのです。 しかし、それは、その労働組合が、自分たちの組合・職場だけの利益を追求し、道理や社会正義に反することをしていたら、単なるエゴイズムの利益集団でしかありません。 北海道JRのデータの改ざんやデタラメな労働実態。こうした社会正義や道理に反するようなことを繰り返す労働運動の中では、『民主主義の素養は育ちません。 下の言葉は、ヴォルテールというフランス人の言葉です。 「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」 あなた達が命をかけているのは、瀧町政への『批判意見を圧殺」することだ! |